10/19
月が見えたらサヨウナラ
「突然で悪いんだけど、月が見えたらお別れね」
彼女は少し真顔になって言った。いつものおどけた冗談とは違う、いつになく真面目な表情、口調。時が止まったかのように感じた。
僕らは高校時代からもう7年も付き合っている。親に嘘をついて2人で外泊したこともあった。高校を出てからは、お互いのアパートを行き来するようになった。そして、今では一緒に暮らしている。
その間、色々なことがあった。喧嘩もしたし倦怠期もあった、マンネリ気味のデートに飽き飽きしたこともあったし、浮気をしようと考えたこともあった。それでもうまくやってきたつもりだった。そんなこんなで7年間やってきたつもりだった。
「お別れって?悪い冗談ならやめろよ」
冗談に決まってる。そんな馬鹿げたことがあってたまるか。さっきまで仲良く一緒にテレビを観てた、コンビニにだって手を繋いで行った。二人の思い出の写真だってちゃんとテレビの上に飾ってある。それを突然お別れだなんて馬鹿げてる。大体、月が見えたらお別れだなんて意味が分からない。月が何だって言うんだ。
「あら?私は本気よ。ずっと考えてたの。」
そう言う彼女の顔からは、残念ながら冗談の欠片すら見当たらない。
「それにしても、月が見えたらサヨウナラだなんて・・・馬鹿げてないか?」
「あら?そう?所詮男女の関係なんてそんなものよ。ちょっとしたキッカケで別れもすれば付き合ったりもする。別に可笑しいことじゃないわ」
「いや・・・それにしても・・・」
僕にはそれ以上言い返せなかった。未だ冗談だと願う気持ちがあるのかもしれない。それよりなにより「月が見えたらサヨウナラ」なんていう突飛な発想に頭がついていかなかった。
「いい?今からこのカーテンを開ける。もしこの窓から月が見えたらお別れ。見えなかったら・・・・」
「見えなかったら?」
「今後ともよろしくってことで」
「ふーん」
少し安心した自分がいた。見えなければ別れることもない、そんな助け道が残されていることに安心した。もしかしたら月は見えないかもしれない。そうだ、彼女は「月が見えたらサヨウナラ」と言ったんだ。ならば見えなければいいんだ。
・・・・まてよ?どうして彼女は急にこんなことを言い出したんだ。余りにも突飛過ぎる。前から少し変わったヤツだとは思っていたけどここまでとは。もしや彼女は僕と別れたがってるのだろうか。それとも、退屈な同棲生活のカンフル剤にとこんなことを思いついたのだろうか。わからない・・・。今日は月は出ていただろうか。空には雲がなかっただろうか。出ていたとするならばどちらの方角だったのだろうか・・・・。思い出せない。
悶々と考えだけが巡る。ふと、先刻に2人で行ったコンビニを思い出した。コンビニの帰り道、手を繋いで歩いている時、彼女は大げさに喜びながら何かを言っていた・・・。
・・・そうだ。彼女は月が綺麗と言ったんだ。すごく綺麗な満月が見えるよって夜空を指差しながら言っていた。僕は、いつも彼女の話を話半分に聞いているから気のない返事をして空を見上げることすらしなかった。でも確かに彼女は言っていた「今日は満月がキレイ」って言っていた。間違いない今日は月の出る夜なんだ。
「心の準備はいい?開けるよ?」
「ちょっとまってくれ!」
間違いない、彼女は月が出ていることを知っている。つまり、カーテンを開ければ月が見えると知っている。つまり、僕と別れたがっているということなのだ。別れたいけど別れを切り出せない。そこでかぐや姫のようにロマンティックに月と別れを見立てて別れを切り出した。そうに違いない。まるで月に帰る姫のように美しく別れたいと思っているに違いない。
ならば、何が原因なんだろうか。僕にとって彼女は大切な人だ。将来は結婚だって考えている。僕の何が嫌になって別れを切り出しているのか、皆目検討もつかない。一体何が・・・・。
いつも話を真剣に聞いていない所か?それとも貯金が全然ないところか?就く仕事就く仕事半年も持たずに辞めてしまうところか?心当たりがありすぎてわからない・・・。
とにかく、僕は彼女と別れたくない。絶対にカーテンを開けさせてはいけない。開ければ綺麗な丸い月が見えるだろう。そして彼女は月に帰ってしまう。それだけは絶対に避けねばならない。この状況さえ避ければなんとかなるはずだ。
彼女の話を真剣に聞くようにし、頑張って仕事もする。貯金だって好きなタバコをやめてやってみせる。そうして彼女の心をもう一度取り戻して見せる。かぐや姫になんかさせやしない。
・・・まてよ?彼女はこんなことを言い出す人間だったか?確かに少し変わってるところはあったけれども、そこまで考えが外れた人間ではない。「月が見えたらサヨウナラ」なんて突飛で理不尽なことを言い出す人間ではない。
そうか、彼女は僕に気付かせるために言っているんだ。話を聞かないこと、仕事が続かないこと。それが嫌だ直して欲しいと暗に僕に伝えたかったんだ。だからこんな月の話で僕を困らせる。話を聞かない僕に話を聞かせるために突飛なことを言い出す。間違いない、彼女は僕に悪い所を直して欲しい、そう気づかせるために言っているんだ。つまり、彼女は本当は別れる気なんてない。カーテンを開けたって月なんて見えない。今日は月は出てるんだろうけど、この窓からは見えない方角に出ているに違いない。彼女はそれを知っている。彼女はかぐや姫なんかじゃないんだ。
「うん、いいよ。大丈夫だよ、開けてごらん」
僕は自信満々に言い放った。大丈夫だ、大丈夫だ、月なんて見えない、見えるはずがない。彼女が僕と別れたがってるはずなんてない。大丈夫だ。大丈夫だ。自分に言い聞かせるように何度も心の中で連呼した。
「じゃあ、あけるね」
彼女の細い白い手がカーテンにかかる。いよいよカーテンが開け放たれる。大丈夫だとは分かっていても胸の鼓動がとまらない。
呆然と立ち尽くし、カーテンの隙間から少しでも早く夜空を見ようとする。それを知ってか知らずか、彼女はユックリとユックリとカーテンを開ける。まだその隙間からは黒い闇しか見えない。
大丈夫だ
大丈夫だ
月なんて見えない
見えるはずがない
必死に願う僕。こんなに彼女と別れたくないと思う自分に驚きだ。大丈夫だとは分かっていても祈るように心の中で連呼してしまう。
大丈夫だ 大丈夫だ
そして、悪い考えも頭をかすめる。
もしかしたら、月は見えるかもしれない。見事な見事なそれはそれは立派な満月が見えるかもしれない。そしたら本当に彼女ともお別れなのだろうか。本当に本当にお別れなのだろうか。月にでも帰ってしまうのだろうか。いやだ・・・そんなの嫌過ぎる。
「ちょちょちょちょちょっと待って!」
急に不安になって彼女の手を止めようと叫んだ。けれどももう遅かった。その刹那には、カーテンは大きく開け放たれていた。そしてその向こうの窓には紛れもない真実が待っていた。
窓の向こうには窓があった。
いや、正確には向かいのアパートの窓が数十センチの隙間を開けてあったのだ。
「ははは・・・そうだよ、そうだよ、忘れてたよ」
あまりに突飛な彼女の言動に困惑して忘れてた。このアパートは密集して建っている。窓のすぐ先には隣のアパートの窓がある。そのせいで日当たりが悪いし、昼間でもカーテンを開けることができないっていつも彼女がぼやいてたじゃないか。
なんてことはない。彼女は最初から知ってたんだ。この窓から月なんか見えるはずもないって。こんなに向かいのアパートが近くにあるんだ。見えるはずがない。結局、彼女は僕と別れる気なんてなかったんだ。
僕は安心しきってその場にへたり込んでしまった。
何はともあれ、安心した。これで今までどおり彼女と暮らすことができる。今度は仕事も頑張って彼女の話も真剣に聞くようにしよう。もう一度彼女とやり直してみよう。
「月、見えなかったね。これでお別れもなしだね」
安心しきった子供のような表情で振り返った僕。彼女の笑顔が見たかった。彼女も「お別れはなしだね」って笑ってくれるはずだった。
けれども、そこには彼女の姿はなかった。
忽然と彼女は消え、彼女のバックと靴が消えていた。そして、テレビの上の2人の写真も伏せて置かれていた。
「え・・・・どうして?だって月は見えなかったのに・・・」
振り返ってもう一度窓を見た。
そこには、綺麗な綺麗な満月があった。
向かいのアパートの窓に反射して映し出された満月が、誇らしげに夜空に輝いていた。
そういえば、去年の今頃、彼女は言っていた。向かいのアパートがあっても月も太陽も見えないこの部屋。だけど、十三夜の夜だけは向かいのアパートに反射した月が見えるね、って。毎年この日だけお月見ができるよって喜んでたっけな。
結局、僕は何一つ彼女の話を真面目に聞いてなかったんだ。少しでも真面目に聞いてれば、この日だけこの部屋から月が見えるのも知ってたのに。そしたら彼女も月に帰ってしまわなかったのに。
お話の中のかぐや姫は、男に無理難題を言って求婚を断った。無理難題を言うことで誰にも話を聞いてもらえないような状態を作ってたんだ。でも、僕のかぐや姫は何でもない日常の話を、無理難題でもない何気ない話すらも聞いてもらえてなかったんだ。
彼女は可哀相なかぐや姫。そして月へと帰っていったのだ。
かぐや姫のいなくなった部屋で僕は呆然と、ただただ窓に映った満月を眺めていた。
いま、アナタの部屋の窓からは十三夜の満月が見えますか?
-------------------------
というわけで、13夜の夜に、月にちなんだ創作話を書いてみました。笑いどころもクソもないつまらない話ですが、こういうのもたまにはいいでしょう、たぶん。
それはそうと、最近では十三夜の月見というのはあまり一般的でないかもしれません。十五夜ばかりがクローズアップされがちですよね。
でも、もともと十五夜という風習は中国から伝わったものとする説が一般的でして、十三夜こそが実は日本古来の独特の風習だったりするのです。
中には十五夜と十三夜両方の月を見ないと片身月などと言われて嫌われる場合もあるのです。なんとなく、こういった風習と言うのは趣があっていいですよね。
というわけで、今年の十三夜は10月18日です。みなさんも片見月にならないようにシッカリと今宵の月も見ましょうね。でも、十五夜も見てないのだったら、今日だけ見ても片見月に変わりないですな。
どちらにせよ、月を見ながら思いを馳せる。そんな風流な行動もたまにはいいのではないでしょうか。
[back to TOP]
|